「人と時の流れをつなぐ場所」

㈱キタバ ランドスケープ プランニング
斉藤 浩二

 北海道は歴史が無いとよく言われるが、先住民族や大自然の歴史を考えれば、そうではないことがわかる。仮に明治初めの開拓期から数えても130年余り過ぎた。私たちの周りには時の流れを感じさせる建物や場所がいくつも残っている。個々には今それほど貴重でなくても、これらを生かして積み重ねていかなければ、いつまでも軽薄で個性の無いまちから、心が戻っていくようなまちに成長することはできないだろう。殊に経済の拡大が期待できない時代になって、まちには環境の良さと人の琴線にふれる文化性や歴史性が求められている。
 若々しいまちと表現される札幌に住む私達の心の中には、このまちの創成期に重用された札幌軟石は原風景としてしみこんでいる。少なくなったとはいえ、今も軟石造りの建物は点在し、店舗やレストランに活用されている例も多い。札幌軟石の産地、石山地区に荒れたまま残っていた石切り場跡地を再びまちの風景の中に登場させ、市民がいつも使える公園として甦らせた場所が石山緑地である。

札幌市内に残る軟石建造物

札幌市資料館

倉庫改造のレストラン

様々なかたちの共働


 昭和52年に採掘を止めた石切り場跡地は、治安上・環境上地域の大きな問題になっていた。札幌市は地域の強い要望を受けて、国から土地を取得し公園化に着手した。
計画地に残る切羽跡は見る者を驚かせる特異な景観で、市はこれを活かした芸術的な公園にしたいと考えた。
その折に、イサム・ノグチに触発された道内在住の5人の彫刻家が、公共事業への参画を申し入れ、公園全体の設計に関わることになった。
こうして行政と芸術家集団(CINQ-サンク-と称する)との共働が始まった。5人の芸術家がひとつになって制作に向かうことは大変珍しいが、彼らはその難しい共働に取り組んだ。
行政とCINQの間にたって、芸術家のアイディアや政策を公園事業に取り込むために私達ランドスケープアーキテクトが加わった。これが第3の共働である。建設の現場では通常と異なる難しい工事に対して、設計チームと施工チームの密接な共働が行われた。
これに加えて、CINQメンバーの多くが教育者であり、彼らのお弟子さん達が大勢サポートしてくれた。彼らは現在若手彫刻家として活躍しているように、先生と学生達の公園づくりへの共働は、素晴らしい教育の場だった。

 私達にとってCINQとの共働は、時間や手間をいとわない徹底したもので負担も大きかったが、それ以上の多くのものを得た。妥協は許さず、必要なことは相手がだれであってもきちんと主張することの大事さも学んだ。行政の方々は面倒な仕事にも関わらずよく対応して下さったが、時には芸術性と経済性のバランスの取り方で激しい議論をかわすこともあった。

デザインの狙い


 石山緑地は、南北に細長く、間に市道が通っていて2つのブロックに分かれている。北ブロックは、運動施設や遊戯施設がある公園として平成4年に完成していた。
その年から計画が始まった南ブロックには、石切り場の切羽が残り、その上に浸食が進む火山灰層があるダイナミックな景観があった。それ自体が大地の彫刻と言える場所で、どこに手を入れるべきかを慎重に考える必要があり、その結果、切羽跡や火山灰層、自然林は時間の経過に任せることとした。
これを背景にして、デザインコンセプトは北の街の基となった札幌軟石への鎮魂歌を刻むこととした。異質なかたちの対比や異なる石材の取り合わせによって軟石の特質を浮かび上がらせることをデザインの基本的な考えにおいて、「球体のネガとポジ」「垂直と水平」「直線と曲線」「渇きと潤い」「無彩色と原色」などをテーマに、形や色の対比性を強調し、メリハリのある印象深い景観の創出を目指した。そして水と石の遊び場~スパイラルスプリングや、石のイベントひろば~ネガティブマウンド、不思議な石の造形~スプリンクルキューブなどユニークな空間が生まれたが、CINQの造形意欲は公園内のファニチャーにも向けられ、ベンチやサイン、照明灯、フェンス、ゲートなど、すべての点景物を制作することになった。


ネガティブマウンド 工事着手前


ネガティブマウンド


エントランスゾーン~スパイラルスプリング


午後の丘 スプリングキューブ


防護柵


駐車場のゲート


遊具


案内サイン

春早くから晩秋まで、石山緑地は季節の彩りをまとって美しい。
しかし、設計時に目指した形と色の対比の妙が最もよく現れるのは冬の季節である。
残念ながら冬期は除雪がされず容易に入ることができないが、木々は葉を落とし、石の造形は白い雪をかぶって、より鮮明に浮かび上がる。



公園づくりのプロセス

 最近の公園建設の過程では、市民参加のもとにどんな公園が欲しいか、そこで何をしたいかなど、利用者側の意見を聞きながら事業を進めることがほとんどである。時には市民の意見を主体に計画内容を組み立てる本格的なワークショップが開かれる。
 石山緑地の場合は、デザインの部分は芸術家達が独自に創造することに意味があるという判断から、設計段階での市民とのコミュニケーションはとらなかった。ここでは実際に公園を作る場面を見せ、CINQの考えを理解してもらいながら意見を徴収することとした。

 公園建設着手2年目の平成6年。夏の1ヶ月間、他の工事をストップさせてネガティブマウンド政策の現場を見せるため、普通は市民が立ち入れない工事現場を公開した。
その時の反応は好意的なものが多く、マスコミの方々からも良い評価をいただいた。十分に議論をし検討して進めてはいたが、チーム内に、特に行政の方に不安があったと思う。それが公開制作の場で市民、とりわけ周辺住民から好反応を確認したことで、その後の段階をスムーズに進めることが出来た。
 公園の公開制作は、平成8年のエントランスゾーンの建設時にも行った。同時に既に完成したネガティブマウンドでCINQとその門下生の彫刻展を開き、また、親子で札幌軟石を彫る彫刻教室も開催し、CINQと軟石への関心を高める機会を持った。


公開制作風景(平成6年8月)


親子彫刻教室(平成8年8月)

 公共事業におけるランドスケープデザインの範囲は、土木設計と同じく設計段階までで、現場での監理に出来ることはほとんど無い。石山緑地でも設計業務までという枠しか与えられなかったが、CINQとの共働を途中で止めては意味が無いと考え、彼らの制作に合わせて完成まで現場に関わった。
ディテールにこそ神が宿るというように、デザインワークは最後の仕上げが一番大事である。その場に介在出来なくてはデザイン上の責任の所在が無くなり、そこから良いデザインは生まれにくいのである。
石山緑地では、その部分までしっかりとやれたことが、皆納得のいく結果になった大きな要因であったと思う。

地域にもたらしたもの

 平成9年に全面完成して以来、それまでの地域の悩みの種は、逆に石山地区のアイデンティティを表現するシンボルのような存在になった。周辺には、札幌市芸術の森、デザイン・アート系の札幌市立高等専門学校があり、芸術性が高い文化的な地域イメージが持たれるようにもなった。
公園内には南区老人福祉センターが建設され、高齢者にとっての健康増進と娯楽の場所として使われている。

 石山緑地では、平成8年10月の開園のお祝いが連合町内会主催で開かれて以来、毎年夏に数日間の石山緑地芸術祭が開催され、昼夜通して様々なパフォーマンスが繰り広げられている。イベント広場は野外とはいえ石壁に囲まれて音響効果が良く、夜は幻想的なライトアップによって異次元の世界を感じさせるシーンが見られる。


石山緑地芸術祭 薪能(平成9年8月)

 夏休みの2日間、親子で軟石を彫ってオブジェを作る彫刻教室は、CINQと門下生のボランティアによる指導を得て、平成15年まで連続して開催した。中には常連メンバーも何人かおり、将来彫刻家になりたいという子も現れた。

南区にはまだ自然が身近に残っており、自然保護や地域資源の保全に対する意識が高く、市民活動団体も多い。そのような団体から石山緑地のガイドを頼まれて行くことがある。私は石山緑地の出来た経過の説明に加えて、晴れの日は陰影のはっきりした立体感のある景観の見方を、雨のひなら「雨に濡れた時こそ石の本当の美しさが見える」と話している。
そのような時に設計段階から最後までCINQとずっと悩みながら得心のいく結論まで行きつかなかった問題が頭に浮かんで来る。
それは公園や広場の名称である。公園の正式名称は石山緑地としても、もっと親しみやすい愛称のような名前があるといい、広場にも誰でもわかりやすく空間のイメージを伝えられる名前をつけたいと長い時間をかけて相談したが、これという名前が与えられなかった。今、広場や造形物は英語そのままの呼称であるが、利用者の間には未だにしっくり来ていないようで、私達の国語力の無さを痛感している。今後、地域の方々やいつも理いようしている人たちが、日頃の思いを込めたいい名前をつけて下さればと願っている。

今日の石山緑地

 完成直後は斬新でユニークな公園として話題になった石山緑地は、その後8年経って当時の熱気が去り、今は日常のシーンを獲得したようである。毎日犬を連れて散歩に来る近所の人、休みの日にそぞろ歩きをしに来る人、仲間と時々ピクニックを楽しんでいる人、夏の水遊びや秋の落ち葉拾いに興じる家族連れ、デートの場所に選ぶカップル、切羽跡でフリークライミングの練習をする若者達など、この公園には固定客が大勢いて、それぞれに自分の好きな場所で思い思いの時間を過ごしている。

 本州からお客を案内すると、この使われた方はもったいない、発信力を高めれば全国からもっと多くの人が来訪するだろうと言われるが、ここは観光的な意味合いを持つ公園ではなく、心と時の流れをつなぐ場所として、札幌市民の生活にしっかりと根付く公園であってほしい。

 8年の間には、CINQメンバーのうち、数多くのお弟子さんを巻き込んで制作活動の中心的存在だった北海道教育大学の丸山隆氏が逝去された。彼の芸術活動は幅広く膨大であったが、グループ制作とはいえ石山緑地での仕事が彼の代表作のひとつと言ってよいと思う。

 長引く経済状況の冷え込みに伴い、芸術祭開催のための協賛金も年々減っていると聞く。残念ながらここ数年のうちに終了の時を迎えるかもしれない。しかし、この公園ではここを好きな人々が自らの楽しみのためにパフォーマンスやお祭りをすればいい。小さな規模でもここを大切に使って自分達の空間にしていけばいいのである。

 よく見ると、午後の丘にある古い切羽跡の壁のクラックにシラカバが生えている。それは年とともに根を伸ばし樹木が大きくなっている。自然の力は恐ろしい程である。計画段階で相談にのってくれた地質の専門家の予想通りで、何十年後かにこの壁は崩れ落ちることだろう。火山灰の柔らかな層や薄い表土の樹木は、年々ハッキリ分かる位に後退をくり返している。まちの中の変わらぬ風景と言いつつ、実際には石山緑地も変化していく。その未来の姿を想像することは、過去を懐かしく振り返ることと同じ位に、ここでの大きな楽しみなのである。

※この記事は平成17年に書かれたものです。

斉藤 浩二 さいとう こうじ

1947年 早来町生まれ。
1975年 東京教育大学大学院美術学専攻修了後、造園施工会社・造園設計事務所を経て
1985年 ㈱キタバ・ランドスケープ・プランニング設立・主宰、現在に至る。
宮部記念緑地、SEIYOしんえい四季のまち、石山緑地の設計で札幌市都市景観賞、石山緑地設計で平成9年度日本造園学会賞受賞。
北海道大学、北海道東海大学非常勤講師、北海道美しい景観のくにづくり審議会委員を勤める。


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