【第二十五話:札幌軟石の運搬G】

 カーブが多く、勾配のきつい定山渓鉄道が完成した大正7年(1918)10月17日の晴れの日には、この日のために国鉄から借りた中型の蒸気機関車が、名士たちを乗せた十数両の客車を連結し、モクモクと煙を吐き汽笛を鳴らして白石停車場を出発しました。
 
 開通当時は1日3往復で、料金は81銭でした。客車は26人乗り2、3両を連結し、無蓋の貨車をその後に連結していました。

 石切山停車場には引き込み線が2本あり、1本は製材所用で、現在の光ハイツ裏辺りに引かれていました。

旧:石切山駅(現:振興会館)

 他の1本が札幌軟石洋で、引き込みホームには貨車が常時3両ほど置いてあり、軟石を積み込んでいました。


当時の石切山駅ホーム
駅員左奥の黒三角屋根が製材所

 昭和4年(1929)10月には路線も電化され、昭和6年(1931)には国鉄苗穂停車場まで延長し、ここから札幌軟石は全道各地に運ばれ、軟石造の建物が飛躍的に増えていきます。
 しかし、昭和30年代に入るとモータリゼーションの波に押され、昭和33年(1958)頃には軟石運搬はもっぱらトラック輸送に切り替わっていました。
 
 その後、定山渓鉄道も地下鉄建設に伴い、昭和44年(1969)11月1日に廃線となりました。


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