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トップページ>石山の歴史・名所 豊羽鉱山石山選鉱場
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豊羽鉱山石山選鉱場 | |||
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豊羽鉱山石山選鉱場は、明治9年に開拓使顧問補佐官である米国人ライマンによって調査された記録が最も古い記録と言われる。 大正3年から開発され、定山渓奥に精錬所を建設し、銅を精製していた。 豊羽鉱山では、金・銀を採掘していた。 古い地図には「豊羽銀山」と記載されており、この精錬所と豊羽銀山は第一次世界大戦後、休止された。 昭和12年、豊羽銀山は再開され、鉛・亜鉛を採掘するに伴い、2年後の昭和14年7月に石山選鉱場を創業するに至った。 毎月25,000tを処理していたが、昭和19年9月に大雨による白川増水に伴い、豊羽鉱山坑道内が水没し、休山。 昭和25年に、北海道・札幌市(当時の豊平町)・地元有志多数の支援により再開され、石山選鉱場も昭和26年12月に再開された。 ![]() 当時、選鉱場は石山7区町内会となり、最盛期には人口1,000人を数えた。 選鉱場内には、内科・床屋・劇場・幼稚園・野球場を備え、鉱石を運搬する引き込み線が定山渓鉄道の藤野沢駅から230号線(札幌虻田線)を陸橋で渡り、昭和40年のトラック輸送になるまで鉱石を運搬していた。 ![]() ※写真左 昭和34年頃 230号線(札幌虻田線)を渡る鉱石運搬線 ※写真右 現在の石山南小学校と石山中学校の間の道路は、選鉱場への引き込み線が通っていた跡地の名残 選鉱場は、昭和49年の解体作業中の出火により焼失、現在は石積みの土留めやコンクリート基礎が白樺林の中に産業遺跡として残っている。 また、かつてのグラウンドや社宅跡は、現在の石山3条5丁目の団地となっている。 ![]() 選鉱場のあった山の斜面は現在、白樺の中に石垣や基礎が当時の面影を残すのみとなっている。 ■昭和25年の国土地理院測量図 ![]() 定山渓鉄道「藤野沢駅」から石山にあった豊羽鉱山選考場まで引き込み線が伸びている(赤ライン) また、住宅も点在していることが確認できる。 ■昭和60年の国土地理院測量図 ![]() かつての住宅跡地は現在の石山3条5丁目(日鉱団地)となっている。 |
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