【第十七話:札幌軟石の母・豊平川】

 札幌の街は、札幌臨界にそびえる南区の山々から流れ出る土砂(砂礫)が豊平川に集まり、下流に運ばれて扇状地に広がった地形の上にできた街です。
 その扇の要は、五百万年前の海底火山でできた藻南公園の『花魁渕(おいらんぶち)』で、公園を過ぎると札幌方面に向かって一気に視界が開けてきます。


川沿から藻南公園(花魁淵)を望む

 はからずも石山の地に置いて、四万年前に豊平川をせき止めた火砕流(後に札幌軟石)を川の流れが少しずつ浸食しながら土砂を運び、扇状に札幌の地盤を形成していきました。石山では豊平川に浸食された軟石があらわとなり、昭和25年(1950)頃まで残っていました。(※1)
 この豊平川の流れは、永い年月により石山から札幌市内まで緩やかな勾配を成したため、札幌軟石が発見された当時、建築用に切り出された軟石(3切:重量約105s)を運搬するのにちょうど適した流れであったこともあり、これが札幌軟石の生産を確実にした重要な要素の一つと思われます。



 話は反れますが、札幌軟石発見以前の寛政11年(1799)頃に「村山伝兵衛」が「阿武屋(あぶや)」の屋号(※2)でオカバルシ川付近のエゾマツを切出しています。この運搬にも豊平川を利用したものと思われます。当時から豊平川は重い荷物の運搬に適していたようです。

※1 恵庭市の白扇の滝付近に、内容は違いますが現在も軟石川底が残ります。
※2 阿武屋の屋号は「丸重吾」でと書きます。 国道230号のオカバルシ川に架かる橋を「丸重吾橋」と言い、これは当時の名残です。


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