【第十話:開拓使御用達の札幌軟石】

 札幌軟石が建材として誕生し、大量に使われるようになったのは、開拓使が札幌本府に西洋建築風の庁舎や倉庫を建て始めたことと、民間でも使用されるようになったからでしょう。
 民間で使用されるようになった経緯は、本府周辺の民家が茅葺の板壁建物が多く、冬期間における野火による飛び火で火災が絶えなかったからでしょう。
 大通公園も火災による緩衝地帯としてこの当時から設けられたもので、通りの両側に火に強い高木樹種を施していました。


明治6年冬 大通と藻岩山を本庁より望む

 黒田開拓使次官は寒冷地である北海道開拓において、暖房による火災の発生しやすい茅葺屋根を禁じ、明治5年(1872)に補助金制度を設け、柾屋根の本建築を推奨し、補助金に差をつけています。この本建築での採暖にはストーブが欠かせないため、明治9年(1876)にストーブの煙突に軟石を使用した詳細図を提示して推奨しています。(※)

 最も多く軟石が使用されたのは倉庫建築で、明治9年12月に本府構内の倉庫建築に当り、基礎は八垂別の硬石を用い、外壁や土間には穴の沢の軟石が用いられています。
(※)



明治11年竣工 札幌軟石官用第一号建物

 今でも北海道各地の駅前に農業用倉庫として利用されている現役の建物を見ることが出来ます。(注:小樽軟石使用の倉庫もある)

 明治16年(1883)9月17日の幌内鉄道開通により、札幌軟石の需要が広がり始め、小樽や後志地方は基より全道各地に軟石造りの建物などが建ち、札幌軟石は北海道開拓の歴史に無くてはならない開拓使御用達建材として北海道各地に運ばれて行きました。
 札幌市内にも北1条教会司祭館
(明治31年)・旧札幌電話交換局(明治31年築、後に明治村に移転)・日本基督教団札幌教会(明治37年)など今でも明治時代に建てられた多くの札幌軟石造建築物が残されています。

※開拓使事業報告書より(民間第一号は明治10年)

参考文献:石山百年の歩み
使用写真:北大図書館所蔵


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