【第二十話:札幌軟石の運搬B】

 軟石の運搬で忘れてはならないのが馬鉄です。この馬鉄会社を始めたのは、空知方面の土地売買で成功し札幌に進出した助川貞次郎と藪惣七ほか4名の出資で、明治34年(1901)12月に「札幌石材馬車鉄道合資会社」を設立しました。
 明治36年(1903)12月には札幌支庁に馬車軌道敷設特許申請を出願したところ、第一課長局から敷設について諸条件が付けられました。その条件とは「村会の意見を添付して提出すること」「公道使用のため、交通に不便を来たすときは路面の拡幅を行うこと」「住民の利用」の3点でした。

 これに対し、明治37年(1904)1月に当時の管轄であった豊平村に打診したところ、2月に村会議長より回答があり、その内容は『豊平村の繁栄は月寒及び平岸の物産集散地である。従って当該鉄道路線図のように敷設されては、平岸以南の木石その他農産物は全て馬車鉄道の便により運送されてしまう。従来の集散地である豊平の衰退を来たす。特に明治37年度以降は、豊平村は教育費・警備費の一部を負担するようになったため、前年より豊平住民の負担が倍増している。その上に鉄道敷設による収入減では、到底その負担に住民は耐えられなくなり、その内に一村離散の不幸を見るようになってしまうため、本村会において否認する』
(現代語訳)と拒否回答でした。
 しかし、豊平村長はこの村会議長の意見書の他に、村長としての意見書も添えて『石山札幌間の馬車鉄道敷設に関し、当村会においては敷設否認したが、私の意見は当村石山より豊平まで鉄道を敷設市、官命における条件の他、本村公課の諸税を鉄道会社が負担する場合は別に支障なしと認める』
(現代語訳)と付け加えていました。
 この村長の意見書がなければ、もしかすると馬鉄は走っていなかったかもしれません。

 これにより「札幌石材馬車鉄道合資会社」が豊平村の諸税負担することで、明治42年11月22日付けで石山〜山鼻間の馬車鉄道軌道敷設の特許が下りました。





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