【第二十一話:札幌軟石の運搬C】

 馬車鉄道は明治42年(1909)11月に特許が下りると、山鼻村から石山までの約11qの軌道が敷設されました。
 工事は同年の2月から取り掛かっていましたので、特許が下りる前に事前着工で行われていたようです。
 ルートは南3条西11丁目付近から南下し、軍艦岬(南39条西11丁目)を迂回し、八垂別(現在の藻岩地区で、硬石山付近)を経由して、現在の石山大橋の北側付近で豊平川を渡り、石切山駅(当時は停車場)に至るものでした。



 馬鉄の石切山駅は定山渓鉄道の石切山駅(現:石山振興会館)とは位置が異なり、豊平川を渡ると、現在のサンセレクトの場所から「ぽすとかん」横の石山6号線(緑地通り)を通り、石山2号線の手前の道を左折し、直進後穴の川を渡ったところに石切山駅がありました(セイコーマートの裏付近)
 この場所付近には「兵庫」「荒井」「生水」「岩本」等の多くの札幌軟石採掘場があり、軟石を積み込んでいました。



 一方、常盤地区にも採掘場(現:辻石材 当時も同じ)があり、ここで採掘された軟石は一旦トロッコで石切山駅まで運ばれてから積み込まれていました。

 開業にあたり住民の利用を認める条件になっていたため、沿線住民は喜び利用しました。客車あは12人乗りで料金は1人3銭でした。軟石運搬用の貨車は20台あり、1日2往復して約2,800切を運びました。
 八垂別では「硬石」が積み込まれて、山鼻まで軟石と一緒に運ばれました。
 一番の難所は軍艦岬付近で、ブレーキが効かずよく脱線したようです。


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