【第二十二話:札幌軟石の運搬D】

 馬車鉄道の特許条件として「住民の利用を認める」の他に「一時間に八里(約32q)を超過することを得ず」という附属命令書が付けられていました。
 時速約32qの速度制限は現在の自動車時代から比べるとずいぶんゆっくりしたスピードのようですが、なにせ動力が馬であり、石山から札幌市内間の交通機関がほかになかったため、よく利用されました。
 また、札幌から定山渓温泉方面に向かう人々も、石山まで馬鉄の鈴の音を聞きながらのんびりと揺られて行きました。
 それらの人々は一旦石山まで来て、駅前の飲食店で腹ごしらえを終えてから、ワラジの紐を締めて徒歩や馬の背に乗って定山渓温泉を目指したようです。


馬鉄と豊平川に架かる木橋 
石山小学校記念誌より

 開通当時は南3条西11丁目まで敷設され、その後、馬車鉄道は旅客輸送に比重を移していくようになります。

 開通から1年後の明治43年(1910)には札幌停車場(現:JR札幌駅)まで延長されますが、現在のセンチュリーロイヤルホテル付近に軟石の堆積場がありました。
 延長新政治の鉄道会社名は『札幌市街鉄道株式会社』となっています。


明治43年 延長許可証

 延長の許可条件もあり、路面と高低差が無いように、軌道の両脇1尺は砂利を敷かなくてはなりませんでした。線路の幅は2フィート6インチ(762o)で、重さは16ポンドでした。
 明治から昭和初期までの馬車軌道や簡易軌道幅のほとんどが、この762oを採用しています。理由は貨車製造幅が一定であり、軌道幅をこれに合わせたようです。


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