【第二十四話:札幌軟石の運搬F】

 大正7年(1918)10月17日は、石山を走っていた馬車鉄道から定山渓鉄道に取って変わった記念日です。
 定山渓周辺の森林から切り出される木材の運搬は、もっぱら豊平川を利用していましたが、ダム建設計画によりこの運搬方法が中止に追いやられることになったことと、豊羽鉱山の開採計画が打ち出され、鉱石運搬方法を画策していたこと、そして札幌の奥座敷である定山渓温泉への足の確保などが重なり、大正2年(1913)に札幌在住の25人の財界人が発起人となり、2月に札幌から定山渓間の鉄道敷設免許を申請し、同年7月に特許が下りました。
 しかし、資金調達が困窮し、会社設立が大正4年(1915)2月までずれ込み、やっと「定山渓鉄道株式会社」が設立されました。
 これからルート選定で紆余曲折があり、結局は白石〜豊平〜真駒内〜石切山〜定山渓に路線が確定し、大正6年(1917)4月から突貫工事で、翌年に白石〜定山渓間の29.9qが完成しました。

駅名と開設年

 駅は「藤の澤」と「簾舞」が他に設けられ7駅からのスタートでした。
 ここに札幌軟石を運搬する新たな交通機関が生まれました。


定山渓駅(昭和中期頃)



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