【第六話:石山の先住民(縄文時代)

 支笏の大噴火により形成された石山の札幌軟石は、人の手で切出されるまでの約4万年間、静かな眠りにつくことになりました。
 しかし その間、地上では寒冷期が終わり、気候の温暖化に伴って緑豊かな自然におおわれることになります。山や森には植物がしげり、小動物や鹿、それに熊などのけものが行き交うようになりました。豊平川やその支流の川では、鮭をはじめとする魚もたくさん生息するようになりました。
 それらの動植物を食料に石山の地にも人が住み始めるようになったようです。縄文早期の物と思われる土器の出土がそのことを示しています(M67遺跡)


縄文時代の食料資源

 今から約6千年〜4千年ほど前の縄文前期から中期には、貴校の温暖化がいっそう進み、海水面が現在よりも4〜5m高くなりました。当時は、石山陸橋近くの柏丘辺りからも海岸線が見えたかもしれません。
 この頃、石山近辺でも縄文式土器や石器を使った人達が小さな集落を造り、採取や狩りをしながら生活していたようです。


M67遺跡出土の土器

石山六区の穴の川ほとり(M67遺跡)や七区(M495遺跡)には竪穴式住居跡と思われる穴が点在していましたが、道路工事や宅地造成等で現在は殆ど見ることができなくなっています。
 縄文〜続縄文〜擦文と続いた各時代の遺跡は見つかっていますが、しかしながら約800年前(本州では鎌倉時代の始まり頃)からの遺跡・遺物の出土は報告されていません。

 石山の地に軟石が発見され、石切る音や人々の声が響き渡るようになるまでには、今しばらくの時を待たなくてはなりません。

※参考資料:M67遺跡の土器(札幌市埋蔵文化センター)
        縄文時代の食料資源「新札幌史」(札幌市教育委員会)


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